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このごろ思うこと

日頃感じた事を記載しています。
戦後の混乱期に五体満足に生まれ、高度経済成長と供に成長を重ね、
人生もおそらく半ばを過ぎた時期になった。そろそろ社会に何か言わなければ
ばならない世代になったかと思うこの頃、思うままに書き綴って見ました。




 日本とイギリスについて思うこと (2003年10月24日)

  変なことからイギリスと日本が似ているのではないかと思い始めた。古くは10年ぐらい前イギリスに仕事で行った時、米国と比べて日本に似ていると感じたことが始まりだった。しかし、その時は、イギリス人は意外と”シャイだな”、あるいは”人なつっこいところがあるな”と感じた程度だった。今年の3月イラク戦争があったとき、日本とイギリスは米国を支持した。日本は北朝鮮問題などを抱えており、さもあろうと思ったが、イギリスの支持の仕方は私にとって以外だった。盲目的な支持に見えた。誇り高い国が米国の言いなりに従っている、と見えた。案の上、大量破壊兵器はでっち上げと言われブレア首相の支持は落ち込んでいるらしい。
  このことは、私のイギリスへの見方を変えさせた。米国のイラク攻撃に反対の立場を変えなかったフランス、ドイツ、中国、ロシアと、日本、イギリスの違いが強烈だった。イギリスは第二次世界大戦の折、何度もナチス・ドイツとの交渉で翻弄されたと聞く。意外と日和見的なところがあり、外交交渉を苦手として、日本と似ているではなかろうかと思った。そしてインターネットでイギリスの事をいろいろ見ている内に、英国の海外協力隊(?)で日本に来ている人が”日本にいると、親戚の家に来ているようだ”と書いた記事を見つけた。”なんだ、イギリス人も日本とイギリスは似ていると思っているのか”と思った。こんなことから私の中では”日本とイギリスは絶対に似なければならない必然性がある”と確信し、調べて見ようと思い、少しずつ調べ始めた。
  ユーラシア大陸を挟んで大陸の東端にある島国の日本と、同じく西端にある島国のイギリスは1〜2万年前の氷河期には大陸の一部として陸続きであった。つまり、人は大陸の中を自由に往来していた。しかし、氷河が溶け、西端では、海水が増し海水が今のフランスとイギリスの間を埋めて海としドーバー海峡が出来上がった。東端では、日本は東シナ海、南西諸島と陸地、又は浅瀬でつながり、人は大陸とも、南西諸島の海洋族とも自由に往来が可能であった。そして、氷河が溶け、海水が上昇して日本列島も島国として孤立した。大陸のそばにある大きな島国。この地理的な環境が生じさせる必然的な類似性は何か?。いろいろ想像をした。東の中国では秦、隋、唐、漢、元・・と国家、民族が争う戦争を繰り返して来た。西ではローマ帝国、フランク王国に支配され、フランク王国が倒壊した後、ローマ法王から少しでもいい条件で戴冠を得ようとして、国家、民族が国をかけて争いを繰り返した。その間、日本、イギリスは世界史の中心から外れ茅の外であった。国内で戦争はあっても民族、国家をかける争いはなく、平穏に、富を自分の中に使って過ごしてきた。
  大陸の戦争と、日本やイギリスが行った国内の戦争とでは違いが大きいらしい。大陸の戦争は負けると富を略奪され、人民は捕虜、奴隷としての連れて行かれるか労力にされるが、日本、イギリスの戦争は武士と一部の貴族間で行われ、一般の人や田畑には殆ど影響がなかったらしい。田畑や、住民に被害を与えると税金がとれなくなるかららしい。戦争で為政者は変わっても人民には安堵を与えていた。
  言葉、言うまでもなく日本は日本語であり、イギリスは英語である。英語はゲルマン語(ドイツ語)を親言葉とし変化した言葉である。ドイツ語は語彙の性を厳格に区別するらしい。手や、脛、足にも性を区別すると聞いた。ゲルマン語とラテン語を親言語とするフランス語もドイツ語ほどではないが、かなり性を区別する語彙があるそうだ。しかし英語は性を区別する言葉は殆ど退化してしまっているらしい。何故だろうか。島国になってからの変化には間違いない。
一方、日本語は何が母国語なのか判らないほど変化してしまっているらしい。南方の言語にも似ているし、韓国語にも似ているところがあるらしい。しかし、決め手に欠け、今のところ親言語と言えるものは見当たらないらしい。島国になって言葉が大きく変化した結果である。
  日本語と英語に似た語彙がある。かなりあるらしい。中央アジアにいたアーリア人が紀元前何千年か前に”鉄”を得て、インド、ヨーロッパに侵入した。このアーリア人が使っていた言葉がサンスクリット語(梵語)である。梵語はインドで公用語として使われ進化(言語変化)しなかった。会話ではなく書籍用の言葉として使われ、特別な書類はすべて梵語で書かれたという。仏典は梵語で書かれ、中国で漢字に変換され、日本には仏典として梵語が漢字で伝わった。一方、ヨーロッパに侵入したアーリア人は梵語(サンスクリット語)をヨーロッパに伝えた。そしてインド・ヨーロッパ語と言われる語族が出来上がった。日本語と英語の似ている語彙はサンスクリット語から来ているものと思われる。
  国境線、島国は海が自然に国境になっている。一方大陸は、国境線を自分達で引くことになる。だだっ広い大地に一本の線を引く。1m、あるいは10m、1k、100k、手前、後ろ。言葉か、力か、物か、暴力かで引くのだろう。相手がいるので交渉が必要になる。人は交渉力が長けてくるし、その為に戦い、膨大な費用も使う。一方、島国の日本、イギリスはその作業を海という自然がやってくれてしまった。交渉もせず、戦争もせず国境は自然に出来ていた。従って交渉能力は生まれず、費用も使わなかった。日本とイギリス(?)が交渉を不得意とするのはそこから来るのではなかろうか?
  ここまではちょっとした歴史の本と、言語の本で知り得たものである。そしていい本が見つかった。2001年に「イギリスと日本」 という題でアラン・マクファーレンというケンブリッヂ大学の社会人類学教授が書いている。大陸の隣の大きな島国の類似性という視点で書かれている。大陸とは異なる島国の気候、交通、人口の増減への影響、など多岐に渡って書かれている。イギリスと日本で大陸の隣の小さな島国の類似性は多い。国民性も似ているのではなかろうか。





  長崎の少年事件について思うこと (2003年7月13日)

  7月1日 長崎県で4歳の幼児が殺害される事件があり、12歳で今年中学1年になったばかりの少年が補導された。12歳の少年が4歳の男の子を連れ出し、ビルの屋上に連れて行って裸にし、挟みで悪戯をした。4歳の子供が泣き出したので、前後見境がなくなり、屋上から突き落としてしまったという事件のようである。逮捕されたときは、少年はまじめで、大人しく、成績もよく、事件を起こすような子供には全く見えないという近所の人の話であったと思う。事件を起こす何の兆候もなく突然大事件を起こしたという印象でニュースを見ていた。しかし翌日、直ぐ似たような小さな悪戯を20件近くしていたというニュースが新聞に出てきた。何だろうと思った。兆候がなかったのではなく、あったのに気がつかなかったのだと思った。両親のことは、何も記事に出ていないので判らないが、もし、気がついていなかったのなら、ひどい無関心だと思う。今度のことにしても、場所が屋上ではなく、地面の公園であったのなら、単に突き倒しただけとなって、何の事件にもならなかったのだと思う。予兆の段階で掴まえることは出来ないし、仮に、予兆を見つけても、その処理の仕方を、大人も、警察も知らずに、事件を起こさないようにと願うしか方法を持っていないのではないだろうかと思う。
  少年の行動を見ると事件を起こすまでに、普通ではない行動が何ステップかあると思う。幼児を連れ出すこと、幼児を屋上の人の少ない所に連れて行くこと、裸にすること、挟みで悪戯すること、泣いたからといって突き落とすこと、全て異常な行動だと思う。これだけ異常な行動を取る人が、普段本当に正常で、まじめで、大人しい人だろうか?両親、近所の人、先生は少年の異常な部分には目をつぶってきただけではなかろうかと思ったりもする。もし、そうでなければ、よほど感度の低い、人の情緒を見る力のない人たちと思えてくる。そんな筈はないだろう。やはり、予兆の段階で掴まえることは出来ず、その処理の仕方を、知らなかったことを、”事件を起こすとは思えなかった”という表現で表しているのだろうと想像している。
  
  
 


  知覧を訪れて思うこと (2003年7月5日)

   ちょっとしたことがあって鹿児島の知覧を訪れた。知覧は太平洋戦争当時、特攻隊が発進した基地である。今は、「知覧特攻平和会館」という建物が建ち、特攻隊として散っていった1036名を、1036個の灯篭で奉ってある。特攻として飛び立った人は17歳から25歳の若い兵士であったとのこと。辞世の短歌や詩が展示してあった。
 ”君のため”、”心で笑って”、”大儀のため”、”万歳”、”靖国で”、”お母さん”等の言葉が目を引いた。これからという若い命を、国のため、大儀の為と言って死んでいった人たちを、今の生きている人たちはどう思っているのだろうか。今ある自分が、こういう若い兵士の犠牲の上に立っていることを知っているのだろうかと思う。死んで行った若い兵士が今の日本を見たらどう思うだろうか。自分が犠牲になった価値があると考えたであろうか?。
  私も戦後生まれだが、最近日本の周辺でイラク戦争、イラクの戦後復興支援、北朝鮮の核の問題が起きている。以前の若い頃と違って、こういう問題が他人事には思えなくなって来た。日本は戦争に巻き込まれず平和であって欲しい。戦争を放棄した平和憲法も主旨を曲げずに維持して欲しい。一方で、国際貢献として困っている国には援助をして助けてやって欲しいと思う。
  多くの人が戦争を嫌い、平和を求めるままでいて欲しい。知覧や、沖縄の平和祈念公園などを訪れて戦争の実態を偲んで欲しいと思う。そうすることによって戦争を嫌う気持ちが保てるのではないかと考えるからである。知覧から片道の燃料で米艦隊に体当たりする為に飛び立った若い兵士たちの辞世の歌を何首か紹介する。どういう気持ちで飛び立っていったか、その一端が偲ばれると思う。
・ありがたき 御世にうまれて やくだてる そのよろこびに われはゆくなり
・此の御代に 男と生まれ 我もまた 御楯となりて 散るるうれしさ
・桜花と 散り九段に還るを 夢に見つ 敵艦屠らん 我は逝くなり
・君が代を 寿ぎまつり 我いかん 死での旅路は 米鬼もろとも
・大君に 仕えまつれと 我を生みし 吾たらちねぞ 尊とかりけり
・我が生命 捧ぐるは易し 然れども 国救ひ得ざれば 嗚呼如何にせん
・大君の為 何か惜しまん 若桜 散ってかひある 命なりせば
・来る年も また来る年も とこしえに 咲けと祈りて 我はさくらむ
・人の世は 別れるものと 知りながら 別れはなどて かくもかなしき
・かへらじと 思うこころの ひとすじに 玉と砕けて 御国まもらん
・岩が根も 砕けざらめや 武士の 国ためにと 思い切る太刀
・国の為 愛機諸共 敵艦に 玉と砕けて 吾は尽くさん